

とろけ週間
怒涛のライブ週間。
火リハ、水ライブ、木ライブ、金リハ、土ライブ。
今日は金だから残すところ明日のライブのみになったのですが、、、 さすがに身体さんがぼーーっとしてる。 今日はマクジョニールのリハ中になんども寝落ちしそうになりました。
しかも歌いながら。
身体は動いてるけど意識は遠退いていく。 oshoが寝る前に眠りに入っていく過程を観察するっていう瞑想の話をしていて、おお、それはすごいなぁって。
眠りの瞬間までその様子を意識的に追っていくという行為になぜかとてもトキメキを感じてたんですが、
なんか思わぬところでそれに近い体験だったようなw なんだか毎日とろけてます 火曜日はリハの後に酔っ払ってとろけてw、水曜日は歌ってとろけて、木曜日も歌ってとろけて、今日は一日とろけてました(というか常に眠りにつく寸前的な)。
今もとろけながらのつぶやきです。
それにしても音楽ってすごい。 響きに乗って届いたものは言葉よりも雄弁だなぁと。 さらに感度を上げて臨みたい。 さて、今日はどんな風に眠りに落ちるのか、、、
無邪気な笑顔と不協和音
とある人のなんとも楽しそうで無邪気な笑顔をふと思い出して、 その人の美しさを義務、とか責任、とかで濁らせないで欲しいなぁと思った。 それは私の美しさも然り。 世の中のすべての人の輝きを鈍らせる。 そしてその言葉は私の中にもあるのだ。 最近はその言葉が少しづつ小さくなってきてるのも感じる。 でもまだじっとしていると、静かに内側に目を向けてると、感じ取ることができる。 それは微かな不協和音として。 居心地の悪い振動として。 感じては流し、感じては手放し、それのくり返し。 それこそ義務でも責任でもなく。 そして気づけばそれは喜びに変化してる。 その時思いもしなかった喜びとなってやってくる。 それは純粋に感謝につながる。 自然と沸き立つ感謝の波動。 いったいわたしはそれ以上に何を求めるというのだろうか。


ゆずくんなんて呼んでみる
今日は至福の呼吸ワークショップでした。
お昼のサラダライス(お米の量が多いからライスサラダじゃなくてサラダライス)もとっても美味しくできました。 自分の好きなものしか入れないの。
今日はチコパンクルトン含め19品目になりました。 参加してくれた人が至福になったかならなかったは別として(ってオイw)、至福につながる第一歩になったらいいなぁと思ってます。 というか、至福を見つけるきっかけになったらいいなぁかな。 至福はいつか~どこか~じゃなくて、いつでもここにあって、そこにピントを合わせるだけなんだなぁと最近は感じてます。 そういうのって言うは易しかもだけど、で実際まぁそうだけど、少しずつ行ったり来たりしながら、 、、違うな、つかず離れず、でもない、、、出会ったり見失ったりしながら、かな、、 そう、出会ったり見失ったりしながら出会う回数が増えていけばいいんだと思います。 急がずゆっくり、見失ってもまたしっかり眼差しを向け直して。 そんなこんなを気の合う人たちとシェアしあったりして、、、。 目的もそこへの道のりもどちらも楽しめるような。 苦しみ


リハの回想とシュールな昼下がり
昨日は21日のライブのリハーサルでした。 スタジオに入ってドラム、ベースと一緒に音を出すのは久しぶり。 すごく楽しみにしてたんですが、実際音を出してみてなるほど~~と思ったのは、 体への意識がまだまだ散漫。 ということでした。
若干慣れない状況で、あれ?いつもどうやって歌ってたんだっけ?ってなった。 歌ってる時の体のポジショニングがまだまだ身についてないんだなぁって。 そんななりながら伊賀さんのベースを弾いてる姿を見たら、なんとも静かに整ってるなぁって思った。 美しい佇まい。 ベース弾いてる以外の時はあんなに散らかってるのに(笑) 椎野くんのドラムの入りの美しさもすごい。 それ以上はないってタイミングと摩擦のなさで入ってくる。 何度体験しても、毎回はぁぁってなる。 演奏してる時のミュージシャンって相当瞑想的なんだろうなぁって。 というか、瞑想的ミュージシャンが好きなんだな。 次のライブに向けてこれから一週間、その辺りを意識していこうと思いつつ、、、 こうやってPCに向かってる姿勢がすでに肩上がってんじゃんって、、 足とか組んでで背中丸まって
とりとめのない
瞑想してるように歌いたいなぁ。
と思った。
瞑想そのものになるような、そんな歌。
ってどんな歌だろ。 過去でも未来でもない声。
赤ちゃんの声。
今そのものの声。 って求めた時点でずれちゃう。
もうそこには行けない。 でも本当の本当はいつもそこに在る。 でも手に入れることはできない。 それはいたって瞬間だから ああ、切ないって気持ちいいんだなぁ。
切なくなる為に求めてたりもするんだろうなぁ。 この切なさを感じたいが為に。 瞑想的で在りたいと思いながらも切なさも感じたいと思う。 と、とりとめのない夜の頭の中。


小林秀雄降臨
おはようございます。 良いお天気ですね。 今日みたいに天気が良いと窓から入ってくる光だったり、外の明るい様子だったりがなんだか神々しいというか、なんというか、 これはいつも思うんですけど。 大きな道路の近くなので実際には車の音とかはしてるんですけど、 じっとソファに座って外を眺めてると、なぜだか静けさや安らぎを感じるんです。 わたしは小林秀雄が好きなんですけど。 どういう経緯かは忘れちゃったけど「モオッアルト・無常という事」という彼の本(芸術批評というものらしい)を読んでハートチャクラがビビビッて震えたわけなんですけど。 一見回りくどいというか、それ、とかこれ、とかが一体どこを指してるんだ~~とか、ぶっちゃけ何言ってるんだかよくわかんない~~って所が満載なんですけどw(わたしの読解力では)、でも、モーツアルトの美しさと小林秀雄自身がその美しさをあらん限り誠実に表現しようとしてるってことは伝わってくる。 この家の中でふと意識を広げると、そんな小林秀雄の表現に中にいるような気持ちになります。 今朝もそんな感じ。 昨日あたりから何かずっと違和感を感じて


5%とチコパン瞑想とハグ
今日はこんな日
って昨日の日記につぶやいたけど、、、
正確には今はこんな時。
でした。
その時のわたしはブログを書きながら、思考がとっても働いてる状態にあったから、ふとそんな風に一日単位でまるっとくくっちゃったんだと思うんだけど、そのな事はまったくもってナンセンスなわけで、
その時認識した自分の状況ですべてを(この場合はこの後の12時間くらいを)決めつけちゃうって。
実際にはこの後まったく想像もしなかった事がたくさん起こるわけだけど。
これも自我りんの得意技。
自我りんはとてもちっぽけで、自我りんが分かる事なんて全体(=真我、潜在意識、ハイヤーセルフなどともいう)とかの5%とか(2、3%って話も)なのに、一生懸命あーだこーだ考えて、あーだこーだ心配して、あーだこーだバタバタと苦しんで、 なんか、、、 愛おしい。 そんななのにたったの5%なの。 ああ、なんか健気で泣けてきちゃった。 ごめんねぇ、わたしが無意識だったばっかりに。 というわけで、意識的日常生活を心がけるわけですが、、、 その昔、ていっても6、7年前かな


自我が自我を自我だと認識する
なぜなら認識するという行為は自我の仕事だから。 瞑想強化月間5日目。
毎日いろんな気づきがあります。
気づきだったり、訪れる現象の変化だったり、
昨日は車で海沿いを走りながら、ふと感謝の気持ちが降りてきて号泣。
そして周りに広がる景色がキラキラ輝いて見えて、なんとも言えない至福の感覚に。
視覚的には何も変わってないんだけど、道行く人も走る車も周りの建物も海も空もとても美しかった。 なんというか、すべてがありがたい存在なんだぁって。 で、その波が引いた後に、なるほどこれが私たちはみんな光なんだってことなんだな。 と、顕在意識さんは認識する。 その時点でその圧倒的な表れは消えていくわけだけど、それはそれでね。 なるほど。
は自我りんの大好物。 自我りんが喜ぶ事はこの二元の世界においては、それはそれで楽しい事なんだろうけど、ただ自我りんの喜びを追い求めすぎるとそれはキリのない欲望地獄に陥る。 自我を自我として認識する(自我が)。 それとは別に自我と離れた場所に行く(瞑想する)。
今のところわたしが努めているところ。


ながら瞑想
今朝もお掃除してたらガラス瓶をテーブルから落とし、木っ端微塵に砕け散りまたもや大惨事な朝となりました。 なんでかの大惨事(ってほどではないけど)つづき。
昨日の夜もうちの熱血鬼コーチさんは熱血っぷりを発揮し、洋服のままベットに反対向きに潜り込んでこのまま寝ると言い張る(正確にはそんな風に言葉を言う訳ではないんだけど、態度としてはそういうこと)という、、、特訓タイムです。
このまま寝たいというのなら、まぁこのまま寝ちゃってもいいんだけど、、、
でもパジャマに着替えた方が気持ちいいし。 反対向きでもいいからパジャマには着替えていただきたい。
そしてためしに起こそうとするわたしに向かって悪態の数々を吐きまくってるママを前に瞑想してみました。
最近お気に入りのトーラス瞑想。
すると、まず最初にわたしのママの言葉に対する反応が消えました。
なんというかな、よくドラマとか映画とかである主人公だけにカメラのピントが合ってて、主人公に向かってワァワァ騒いで人たちがスローもションというか、ピンボケ状態というか、そんな感じ(わかります?


熱血鬼コーチ
おはようございます。 今日の朝は賑やかに始まりました。 台所で大惨事が起きたのです。 温めていたほうじ茶ラテが沸騰しあたり一面にこぼれ出るという事態です。 最近美味しいほうじ茶の葉をいただいて、それをミルクと合わせてほうじ茶ラテにして飲むのにハマってたのですが、今朝はラテをお鍋で温めながら洗い物をしていました。 そして洗い物をしながら沸騰しちゃうと美味しくないからその手前で止めなくちゃね、なんて思ったその矢先、私の自我りんがとある出来事に対して戯言を抜かし始めたのです。 その瞬間意識は今から遠ざかり、あーだーこーだあーだこーだあ、、、 ブボワッッッ 不吉な音とともに大量にミルクの入ったラテさんが、ガスレンジとその周りに大量流出。 思わず「ぐ あ゛あ゛あ゛!!!」 なんて声が出ました。 そして一気に怒り心頭。 ぬあんでこんなことにぃぃぃ~~~ 半分以上流出してしまったラテと、乳白色の水辺と化したレンジ周りを眺めながら、 私はただ美味しいほうじ茶ラテが飲みたかっただけなのに、、、 なのになんでこんなに悲惨な目に、、、 しかもたっぷり作ってたくさん飲も