ゆずくんなんて呼んでみる

今日は至福の呼吸ワークショップでした。 お昼のサラダライス(お米の量が多いからライスサラダじゃなくてサラダライス)もとっても美味しくできました。
自分の好きなものしか入れないの。 今日はチコパンクルトン含め19品目になりました。
参加してくれた人が至福になったかならなかったは別として(ってオイw)、至福につながる第一歩になったらいいなぁと思ってます。
というか、至福を見つけるきっかけになったらいいなぁかな。
至福はいつか~どこか~じゃなくて、いつでもここにあって、そこにピントを合わせるだけなんだなぁと最近は感じてます。
そういうのって言うは易しかもだけど、で実際まぁそうだけど、少しずつ行ったり来たりしながら、
、、違うな、つかず離れず、でもない、、、出会ったり見失ったりしながら、かな、、
そう、出会ったり見失ったりしながら出会う回数が増えていけばいいんだと思います。
急がずゆっくり、見失ってもまたしっかり眼差しを向け直して。
そんなこんなを気の合う人たちとシェアしあったりして、、、。
目的もそこへの道のりもどちらも楽しめるような。
苦しみを見つけたらそれを見つめて。
どんな感情も見つめて
そして自然に訪れるのを待つ。
自然に湧き上がるのを待つ。
自分はどうしたいのか。
矢を放ったら、その矢が刺さったことによって波紋が生まれる。
どんな矢を放つのかで返ってくる波紋の様子は変わる。
愛の矢を放つのか憎しみの矢を放つのか、、、
でもほとんどが無意識に矢を放っちゃってるもんだから、いつも思いもよらない波に翻弄されまくるわけですw
自分がなんの矢(想念)を放ってるのかを自覚することなく、的をさだめることもなく、まったく無責任な射手だったんだな、と。
そりゃあ、あんなこととかこんなこととか起きるよね。
一時期はあまりの波の荒さに辟易して、もうこんな大変なんだったら、矢なんか放ちたくないよぉ〜〜〜(その時は形付いてたくないよぉ〜だったけど)、、、とか思ってたけど、
今日羽生結弦くんの美しい演技を見て、やはりどうせ出てきたこの世のこのシステムの中で触れられ得る美に触れない手はないなぁと思ったりしたのでした。
美しい波紋を描く矢を放てる射手を目指して。
射手座じゃないけど、、、