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私が認知症のママと2年半過ごして思ったこと

May 4, 2017

 

 

(長文ですので、お時間ある時にどうぞ)

 

ママと一緒に暮らし始めて2年半が過ぎました。

 

8年ほど前ママの認知症の症状が進行して老人ホームに入った時から、いつか一緒に暮らせたらそれはとても素敵なことだろうなぁと、なぜか思ってました。

 

暮らしたい、でも、暮らさなきゃ、でもなくてただただイメージとしてあったのです。

 

そしてそれをイメージするのは心地の良い感覚でした。

 

もちろんその頃は具体的なことは何一つ考えてなく、そんな日が来たら良いんだろうなぁ〜ってくらいの軽い気持ち。

 

でもそれは今から思うと、巷で言われる引き寄せの法則のとっても理想的な使い方だったのかもですね。

 

イメージして手放す。

 

なるほど。

 

と、まぁそんな話は置いといて。

 

 

 

というわけでしっかりと引き寄せらせた2年半前、あれよあれよと、ママと一緒に住むような流れが思いもしない形で訪れたのです。

 

それからのことを書き始めたら村上春樹の1Q84サイズの、ドラマティックかつ感動的スペクタルロマンな長編ストーリーになってしまうので、ここではタイトルの通りママと2年半一緒に暮らした今、思っていることを書きたいと思います。

 

 

 

それはひと言で言ってしまうと、

 

認知症のママも認知症でない(多分ね)私も何も変わらない。

 

 

 

ということ。

 

もう少し違う角度から言ってみると、認知症のママと暮らそうが、健康で働き盛りで人望も厚くてレディーファーストで重たい荷物は全部持ってくれてウェットに富んだ上にイケメンな彼氏(募集中です)と暮らそうが、楽しさも大変さも一緒、ということ。

 

 

 

そしてどんな人と向かい合おうが、やり取りして気持ちの良いものはそんなにたくさんはない。

 

というか、これがやり取りできれば他のことなどどうでも良いと思うもの。

 

 

 

それは、

 

 

「尊重と思いやり」

 

 

 

 

そして同時にそんな風に分かっていながらも、相手に対して尊重できなくなったり思いやれなくなる要因だと思うのは、すべて自分の中の、

 

 

 

「恐怖心」

 

 

 

 

恐怖心は様々な感情や心情に形を変えて現れるけど、紐解けば全て恐怖心につながっている。

 

 

 

 

 

認知症のママが一般的に言われる「不穏」という状態になるきっかけも不安(恐怖心)からでした。

 

寒い、痒い、などの身体的不快感や、ここがどこだかわからない、この人が誰だかわからない的な心理的不安感、など様々な恐怖心へとつながるものが、ママを「不穏」と言われる状態にさせます。

 

 

で、そんな「不穏」になるのを防ぐのに効果的なもの、そう、恐怖心の対局といえば

 

 

 

 

 

 「安心感」

 

 

 

 

しかも心の底からの「安心感」。

 

 

 

 

、、、。

 

 

 

 

心の底からの安心感ってなんだ。

 

 

 

 

 

です。

 

 

 

認知症の人は「あなたの未来の安心のために、◯◯保険」

 

的なものでは安心してくれません。

 

さっぱりそんなものわからないですからね。

 

もちろん「大丈夫ですよ〜〜」なんて口だけで言っても通じません。

 

 

 

 

結果から言いますと、

 

 

 

ママが何よりも安心してくれるのは、私がとてつもなく安らかである事による。

 

 

 

でした。

 

 

 

このね、とてもなく、って言葉は適切かどうかわかりませんし、本来安らかは安らかであって、安らかにとてつもなくも、ほどほどに、もないのかもなんですけど。

 

まぁ、感覚的にとてつもなく安らかな状態なんですよ、私にとってみればね。

 

 

だってそもそもがそんなママが不穏になりそうってことは、


ああ、このまま行ったらママが不穏になってしまいそう、やばい、どうにかせねば、ああ、どうしよう、、、

 

 

 

 

って私がすでにすっごく不安になっちゃってるんですから。

 

 

 

 

そんな状況の私からしたら安らかである事はとてつもない事なのです。

 

うん。

 

 

 

でもね、人っていうのはそうやって他に道がなくなれば仕方なくそこを歩くわけですね。

 

というか、仕方なく歩き始めた道は、実はどんな時も一番ベストな道だったりするんですよね。

 

まったく、ありがたい話です。

 

 

 

といわけで、どうすればママが安心するのかをあの手この手でトライし続けた結果、

 

 

前のブログにも書きましたが、ママに対して、そうだよねそんな時もあるよね(尊重)、そしてそれはとっても大変だったよね(思いやり)、という思いが自然と湧いてきて、それが自然な笑顔につながって、お互いの間にギフトのような(いやあれはギフトですね)安らか〜な瞬間が訪れたわけです。

 

 

 

で、思ったのです。

 

 

 

これは認知症のママのみならず、すべての人との間に流れたらとても気持ちの良いものなのではないか。

 

うん、そうに違いない。

 

でね、ここで問題になるのが、先ほども書きましたが、

 

 

 

 

自分の中の恐怖心。

 

 

 

 

 

てかね、恐怖心のない人っていないと思うんですよ。

 

いないどころか、この世は恐怖心の見本市みたいなもので、ありとあらゆる恐怖がひしめき合ってる。

 

 

 

そんな恐怖オンパレードな中でも多くの人に共通する恐怖トップ10のなかなかの上位に入るんではないかと思われる恐怖心は、

 

 

 

廊下の恐怖。

 

 

 

夜の学校の廊下を一人で歩いていたら後ろから、、、、

 

 

 

じゃなくてね。

 

 

 

老化の恐怖なんじゃないかと。

 

 

 

ああ、もう長くなってきちゃって頭も朦朧としてきたから(つまんないギャグとか言いたくなっちゃうし)、続きはまた明日(か、明後日かその次の日くらい)に書きます。

 

 

 

また懲りずに読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

というわけで、

 

 

私が認知症のママと2年半過ごして思ったことPart1でした。

 

 

ご静読(なんて言葉はない?)ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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