マニュアルの廃棄
前回の日記でかなり長くくどくどと呟いてたのですが、なぜかそのほとんどが消えてました。 なんとも中途半端なところで終わっていて、
しかも計算間違ってる。
簡単な引き算なのにもかかわらずです。
気づいたのは昨日です。 友人に指摘、というか素朴な疑問的に質問されて見直してみたら、文章は途中で切れてるし、7年前の出来事を9年前とか言ってるし、、、
もういろんなことにびっくりです。
わたしの脳みそと、このWIXBlogてばどうなってるんでしょう。
結構いいこと書いてたんですけどね。 自己主張と自己表現について的な。 でももうあの時の(つぶやきたいたいという)衝動は取り返せないので、今日は別のことをつぶやきます。
今日は先日亡くなった知り合いの告別式でした。
わたしは出席せずおうちで見送ることにしました。 その方とは1度チラッとお顔を拝見して、1度深くコンタクトしました。
なのでお会いしたのは2回だけです。
その方が亡くなる1週間前、ご縁あってわたしは余命僅かなその方とその方の奥さんの前で、3曲歌を歌いました。
そして男の人が崩れ落ちるように泣いたのを初めて見ました。
わたしのこの日の目標は泣かないで歌う。
でした。
でも友人からリクエストされていた赤いスイトピーを練習しながら、どうしても2番のサビの繰り返しのところで泣いてしまうのです。 仕方がないのでその歌詞を歌う時には、誰かに文句を言われたことを思い出したり、嫌な態度をされたりしたことを思い出したりするようにしました。 いつもは厄介なネガティブシンキングもこんな風に役に立つことがあるのです。 なのでその方が泣き崩れても、奥さんが耐えながらも涙を滲ませるのを見ても、わたしは意識を違うところに置き(実際不思議なことに、その時にはネガティブなことは考えませんでした、ただただ自分の置かれた状況を俯瞰する気持ちで歌ってました)、無事泣かずに歌を歌いきることができました。 それはいろんな意味でとても深い体験でした。
さっき告別式の始まった時間に、ふと、赤いスイトピーを歌いました。 今日は二番のサビの繰り返しのところで涙がたくさん流れました。
そしてなぜか、幼いころから自分を守るために身につけたたくさんのマニュアルを全部破り捨てたいと思いました。
その人の泣いて小刻みに震える背中が脳裏に浮かんで来て、 もうそんなマニュアルに頼る必要はないんだよって、その人が教えてくれたのかもしれないと思いました。 きっとその人はとても出来のいいマニュアルを持ってたんだと思います。 もしかしたら本屋さんに並んでるどんなマニュアル本よりも素晴らしい内容の。
でもあの時泣き崩れたその人はそんなマニュアルからは一切離れてました。
もうこれからは、自分の中心にある感じやすく柔らかい、でもとても豊かで美しい何かを守るために、必要以上に疑ったり、取り繕ったり、カッコつけたり、大人ぶったり、子供ぶったり、我慢したりするのはやめたいと思います。 どれだけ出来るかはわからないけど。
でもせめてその虚構の中にあるキラキラした愛おしいものの存在を常に忘れることなく感じていたい。 そんな風にも思ったのでした。
ほら、今回は長いでしょ。 前回のもこのくらい長かったんだけどなぁ。
Yさんのご冥福をこころよりお祈り申し上げます。