怖がりな私
お久しぶりのブログです。 先ほど明日のライブに向けてのリハーサルの後に、おじさまたちと鵠沼の愉快な仲間たちと飲んで帰ってきました。 ここ最近は又吉にはまってました。 又吉の文章を呼んで琴線に触れ、そこから怒涛の又吉中毒に。 そしてピースのコント(ハンサム男爵とバケモノっていうの)を見て大号泣してからは、私の中の又吉性(という言葉を使ってみますが)がすっかり表面にむき出しになり、しばらくはどっぷりと内へ内へと深く潜ってました。 それはかなり息苦しいものでした。 でもそこから静かに浮かび上がって水面に顔をのぞかせてみた時には、
また一つ自分で自分を否定していたという事実が明らかになってました。 自分の中で全くの無自覚の内に頑なにへばりつけていた何かが、人と話すたび、音を奏でるたびにするすると剥がれ落ちていくのを感じました(あるいは剥がれ落ちていたことを)。
ああ、
私怖かったんだなぁって。
なのに怖がっちゃいけないって思ってたんだなぁって。
怖がらない私ばっかりをずっと応援して、怖がる私をないがしろにしていた。
ほんとにごめんよ。
今は柔らかな安堵感に包まれてます。
いや、肯定感かな。
肯定するってこんなに柔らかいものなんだな。
ああ、
柔らかくて溶けちゃいそうだな(酔っ払ってるしね)。
明日のおじさまたちとのライブも楽しみ。
マクジョニール。 冗談みたいな名前だけど。 明日も溶けちゃうのかな。
写真はね、こないだの満月の時のです。 よく見えないけど月の周りに大きな輪っかの光が出てたのでした。
見えるかなぁ。