ついにラブラブになる
どうやら、
前回のブログのタイトルを見て、
1、誰か同性の友達と同居を始めた
2、男ができた。
3、その道に走った。
4、ペットを飼った。
と幾通りかの認識の仕方があったらしく、
まぁ答えは1なんですけど(すみません普通で)。
ペットあたりはなるほどと思いましたけど、、
私はその時誰もが1だと思うと思い込んで書いてましたが、こうしたもの(顔が見えないブログとか)で共通認識を図ろうなんてのは(別に今回図ろうと思った訳ではありませんが)まったくお話にならないってことなんだなぁと。
そんなことを思ったり。
そんな中昨日はすごいことが起きました。
これこそ共通認識は全くもって、な話だと思うのですが、
ああ、でも共通認識なんて顕在意識に置いての5%のもので、そんなものより潜在意識の共鳴共感の方がよっぽど気持ち良くて官能的。
とちょっと話が逸れましたが、
瞑想生活1カ月と1週間、ついにわたくしママとラブラブになりました〜〜〜(今生においては起きないかもと思ってた〜〜)。
わたしは今まで物心ついた時からこの人には甘えられないんだなって思っ生きてきました。
MAMAって曲にもあるようにちっちゃい頃はとっても人見知りでママの陰に隠れて寝る時もママと一緒じゃないと寝れなかったような子だったんですが、まぁきっと色んな事があったんでしょうね。
中学の頃とかは本当に本当にママが嫌いで、顔を見れば喧嘩になって(取っ組み合いの)とにかく早くこの人から離れたいって思ってました。
ママが認知症になって、こんな風に一緒に暮らすようになってもそういった気持ちの断片はチラチラと顔を出し、不穏になってるママに対する瞬間的な嫌悪感や憎悪を消し去る事はできないでいました。
昨日は朝からママの不穏が登場し、デイサービスに出かける前の家の玄関先で靴を履いてくれないという状況が起きました。
不穏になった時のママはタチの悪いスネ夫的(ちょっと弱そう)キャラと化すのですが、私が強めに靴を履かそうと促すと、何すんだよっっ!!と腕を振り払われ、その手が私の顔面に、、、
いつもだったら、テメェこのやろう~~と私の極悪さん(こっちもスネ夫的かなw)も登場するとこなんですが、すでに玄関の外には施設のお迎えの人が、、、
くっそお、むかつく~~~でもここでは怒れないぃ~~~と思いながらもなんとか自制し、ママを促し半ば強引に施設の人に引き渡したのですが、
ママが出て行った後に(こういう事では)久しぶりに泣きました。
一人しくしくと。
なんで朝から顔面パンチされなきゃいかんねん、と。
そしてまぁ瞑想生活中のわたしとしてはそこで瞑想するわけなんですが、
そんな中思いました。
ママがこんな風になるは怖いからなのはわかってる。
でもこの泉のように湧いてくる恐怖心は一体どうしたらなくなるんだろう、、、、
と、ここで突然ですが意識のお話です(副音声の解説的な感じで)、こういう疑問が起きた時、顕在けんぞうにはそれに答える能力はありません(なんせ5%だから)。
ここはそう、残り95%潜在せんちゃんの登場です!!(というか、いつもいるんだけど、けんぞうが気付いてないだけで)。
この手のお題はせんちゃんからすれば朝飯前なわけですね。
(副音声終わり)
という訳で、せんちゃん、どうしたらママの恐怖心がなくなりますか?
と質問を投げかけ、ひとまず朝のドタバタは終了させました。
そしてその後ケロっとその事は忘れて、すっかり楽しい時間が過ぎていくわけなんですが(私のけんぞうは最近益々忘れっぽいのです、良くも悪くも)。
それは夕方やってきました。
活躍してくれたのはママを送ってきた施設の職員(バイト?)のおじさんでした。
まぁ(簡単に言うと)態度がなってない訳です。
どんな風かはこの際重要ではないので省きますが、その人のおかげさまで私はまたまたとても腹を立てました。
そして腹が立った後に、
もうやだ、疲れた、、、、(泣)
ってなった訳です。
寝不足も続いてて(これは毎日の同居生活が楽しくてついつい夜中までお喋りしちゃうからなんですけどw)、眠いし、もうやだ。
と駄々っ子な子供のような状態になって、ソファに座ってるママを見ながら、ふと、
もう甘えちゃおっかな。
って思ったんです。
前にも軽くその甘えてみるっていうのは試してみたことがあったんですが(確かブログにも書いた気が)、でも今回はママに寄っかかって腕を回して手を握るというかなり密着度の高い甘え方をしてみたのです(なんか自然とそうしたくなった)。
これは私とママの今まで関係を知ってる人からしたら多分びっくりするような行動だと思うんですが(わたしもびっくりだし)、今までママに優しくすることはできても、ママに甘えるなんてことは考えられなかったから、、、
そしたもう、お分かりだお思いますが、例によって涙が止まらなくなって、しかも止まることなく後から後から溢れてきて胸の痛みとか、悲しみだとかがどんどん流れていくような感覚になって、ずーーーっとママにしがみついて泣いてました。
ママはわたしの手を握り返しながら、テレビになのか、見えない誰かになのか、はたまたわたしの何かになのか、いつもと変わらずがつながるようなつながらないようなことを話し続けて、でもその中に「大丈夫よ」とか「そうそうそんな風にね」とか「ちゃんとやってきたんだから」とか何だか、その時のわたしに向かってるかのような言葉が挟まれて、「気持ちいいいねぇ」とか「嬉しいわぁ」とか機嫌のいい時には聞き慣れてるそんなママの言葉達が、わたしの中に静かに染み渡っていったのです。
ひとしきり泣いた後は体の力がドドーーーッと抜けて、その後下腹部が温かぁくなってとてつもない安心感に包まれました。
さすが母なる愛は第二チャクラなんだなぁなんてことを思いながらも、
そっか、ずっとママに甘えたかったんだ。
って、こうなってみると当たり前のような自分の想いに、わたしはずっと蓋をして生きてきたんだなぁって思いました。
ごめんよさっちゃん。
それにしても、
目以外から涙は出ないものか、
あるいは泣く意外に浄化の方法はないのか、
今世紀最大の号泣と花粉の猛威のおかげで、激しい試合後のボクサーのような顔になってるのはどうなのかと。
でもこんな体験できるなら瞼が倍くらい膨れ上がるなんてどうでもいいか、とも思ったりもしてる。
とかいいながら、その怒涛の大波の後はハートのあたりから自然とママといて楽しいって気持ちが湧き上がって来て、今日の朝も含めなんとも平和な時間を過ごしてます。
それにしても、、、
目が、、、