ながら瞑想
今朝もお掃除してたらガラス瓶をテーブルから落とし、木っ端微塵に砕け散りまたもや大惨事な朝となりました。
なんでかの大惨事(ってほどではないけど)つづき。 昨日の夜もうちの熱血鬼コーチさんは熱血っぷりを発揮し、洋服のままベットに反対向きに潜り込んでこのまま寝ると言い張る(正確にはそんな風に言葉を言う訳ではないんだけど、態度としてはそういうこと)という、、、特訓タイムです。 このまま寝たいというのなら、まぁこのまま寝ちゃってもいいんだけど、、、 でもパジャマに着替えた方が気持ちいいし。
反対向きでもいいからパジャマには着替えていただきたい。 そしてためしに起こそうとするわたしに向かって悪態の数々を吐きまくってるママを前に瞑想してみました。 最近お気に入りのトーラス瞑想。 すると、まず最初にわたしのママの言葉に対する反応が消えました。 なんというかな、よくドラマとか映画とかである主人公だけにカメラのピントが合ってて、主人公に向かってワァワァ騒いで人たちがスローもションというか、ピンボケ状態というか、そんな感じ(わかります?)
で、そのままママを見つめてたのです。 この人は今何か言ってるなぁ、なんだかわからないけどうんうん、トントン(なんとなく肩も軽くたたいてみた)。 するとママの様子が変化して、不穏モードが柔らいだので(言い分が通じたと感じたのかな)すかさず服を脱がし(こうした若干の抵抗がある時は、何が起きてるのかわからないけど気づいたら脱いじゃった!?ってなるように主導権をこっちが握って、明るく楽しそうにそして若干有無を言わさぬ勢いがあるのがポイントです)
無事にパジャマに着替えてもらったのでした。
I did!!
見事ミッション(ママテスト)終了です。
そして今日は朝からながら瞑想を意識的に。 ながらって片手間みたいだけど、常日頃何してても瞑想的であることが目指すところだったりするし。
目指すのって瞑想的じゃないけどね。
でも最近思ったのは、目指す、とか、目標を持つ、とか、より良いものを求める、とかいう自我りん持つ特性を瞑想的であろうとする目標を立てるということに使って、そっれによって瞑想的な時間を増やしてくってやり方がとてもスムーズなじゃないかと。 自我りんの欲求を自我りんの欲求として認識して活躍してもらう。 その上で瞑想的至福の時間を楽しむ。 そんな感じ。 ちなみにながら瞑想っていうのは自分のやってることをを眺めながら動くこと。 洗い物してる時だったらお皿を洗ってる手やスポンジ、水の流れなどに意識を合わせて眺める。
そしてその手の感触や水の温度感や聞こえる音とかを感じながらなんてすると、さらに気持ちのいい感じ。 ただそれだけです。
簡単。 だけど気づくと思考してるw
また眺める。
思考し始める。 気づけたら戻る。
の繰り返し。
なんかピントの合い方が変わります。 映画のスクリーンを見てるような感じ。 家は古い平屋なので日本映画です。 アイビーハウスの時は洋画だな、、、。 と言うわけでみなさま今日も瞑想的な一日を。