そういう世界も在る
ママと暮らし始めて一番苦しかったのは、たぶん、 なんで??? って思うこと。 なんでこぼすの? なんで怖がるの? なんで履けないの? なんで座れないの? なんで、なんで、なんで。 一緒に暮らすうちに、いくつかの「なんで」は解明され、いくつかの「なんで」は未だに分からないままです。
「なんで」 の要因が解明されると少し楽になります。 そうか、だからこうするんだ、という相手の事情が理解できるから。
いろんな体験をしながら(喧嘩したり、辛くて泣いたり、一緒に笑ったりetc...)長く共に時を過ごすことによって、理解の幅は増えていきます。
そう思う時、時は優しいなぁって思います。
認知症のママは私には見えない物を見ます。 時にはそれらと談笑したり、文句を言ったり、怖がったりしてます。 外を歩く時、例えばスーパーの床に模様があったりすると、どうやらそれが物に見えたり、段差に見えたりするらしく、かがんで拾おうとしたり、歩くのを怖がったりします。 また突然世界に対して悪態をついたりまします(ママの場合はスネ夫的な悪態w)。
そんな、私の中の当たり前
・わたしたち二人しか家の中にいない。 ・スーパーの床は平らに見える。
・悪態は(人前でそんなあからさまに)つかない。 等々のことが、当たり前でない相手(ママ)と暮らすという体験は、
そうか、私の当たり前が世界の当たり前ではないんだ。
というとてもシンプル、かつ、ついつい忘れがちな事実を気づかせてもらえることとなるのです。
さらに世の中にはびこる様々な当たり前や、自分の中にある当たり前に当たり前と思ってることに、ん?それは本当に当たり前なの??といちいち一石投じるようになるのです。 そんな風に過ごしていると浮かんでくるのが、
そんな世界も在る。
という感覚です。
なんでかわからないけど、、、
あなたはそうなんだね。
それは認知症の人だけではなく、すべての人との間に働く優しさにつながる認識のような気がします。
もし今日、理解できない相手の行動に出会った時、つぶやいてみてください。
そんな世界も在る。
まぁでもそれでも、なんなのそれ〜〜腹立つ〜って時は無理せず腹を立ててくださいね。
それはそれ、その大変な出来事もきっと時が優しくしてくれます。